大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)4340号 中間判決 1989年2月02日

主文

被告の仲裁に関する本案前の抗弁は理由がない。

事実

一  本件事案の概要

原告らの請求及び主張の要旨は、「被告は阪大予備校(以下「被告予備校」という。)の名称で大学入試のための予備校を経営する者、原告らはいずれも被告予備校の生徒であった者及びその父兄であるところ、被告予備校の人的・物的施設はその入学案内等に記載されたところと全くかけ離れた拙劣なもので、被告の目的は詐欺的宣伝により生徒を獲得し入学金・受験料を集めることにあり、原告らは右入学案内等の虚偽の記載を誤信して同校に入学し、入学金・受験料を支払ったのであり、被告の行為は不法行為を構成する(以下「本件不法行為」という。)から、原告らはそれぞれ被告に対し本件不法行為により生じた入学金・受験料相当損害金及び慰謝料の支払いを求める。」というものである。

二  被告の仲裁に関する本案前の抗弁(以下「仲裁の抗弁」という。)

被告は、「本件訴えを却下する。」との裁判を求める旨本案前の抗弁を提出し、次のとおりその理由を述べた。

被告予備校入学申込パンフレット一一ページに「入学者の心得(誓約書)」なる表題が掲げられ、その一七に次のような仲裁条項(以下「本件仲裁条項」という。)の記載がある。

「この入学申込契約に基づき、将来、予備校(甲)、入学申込者(乙)間に紛争が生じたときは、派生も含めすべての紛争は甲が紛争発生時に選定する仲裁人・弁護士の仲裁に付し、甲及び乙は仲裁人の仲裁判断に服するものとする。なお、この仲裁契約があるときは、裁判所は紛争に対する関与から排除されて、甲、乙当事者は仲裁判断に従って紛争を終了させる義務を負うことを甲、乙双方よく認識し合意し、乙は入学申込契約したものである。」

このパンフレットは原告ら入学申込者全員に配付され、しかも原告らはこのパンフレットをよく読み内容を遵守する旨の誓約書を提出しているのであるから、およそ原告らはこれを読みその内容を承諾して申込をしたものと言うべきである。それゆえ、原告らと被告との間にそれぞれ本件仲裁条項同旨の仲裁契約(以下「本件仲裁契約」という。)が成立したことは明白である。

また、本件仲裁契約は、前記のとおり、「派生も含めすべての紛争」を対象にしているので、本件事案もこれによるべきである。

さらに、本件仲裁契約によれば、仲裁人の選定権は被告に与えられているが、被告は仲裁人を弁護士の中から選定することになっているから、本件仲裁契約は当事者の裁判を受ける権利を損なうものではない。

三  被告の仲裁の抗弁に対する原告らの反論

1  合意の不存在

当事者間において真実仲裁契約の合意があったか否かを判断するには、単に契約書中に仲裁条項が記載されているか否かだけではなく、同条項に対する当事者の認識・理解の程度のほか広く諸般の事情を考慮してこれを決する必要がある。

被告予備校入学申込契約(以下「本件入学申込契約」という。)をなす際の原告らの関心事は、専ら被告予備校の指導方法や費用にあるから、原告らは被告との将来の紛争処理方法については注意を払わないのが普通である。したがって、被告が本件入学申込契約において仲裁契約を有効に成立させようとするならば、被告は、本件仲裁条項の存在と内容を原告らに十分説明すべきであったのに、なんらそのようなことをしていない。

また、原告らは、高校を卒業したばかりの者であり、仲裁の意味・効果等について全くなんの知識も有していなかった。

したがって、原告らと被告との間に本件仲裁条項を含む本件入学申込契約書が作成されたからといって、右各当事者間に本件仲裁契約が成立したものとは言えない。

2  本件仲裁契約の効力が及ぶ範囲

本件仲裁契約は本件入学申込契約にかかる取引に関して、債務不履行やそれに関するトラブルが当事者間に生じた場合に適用されることを予定したものである。

したがって、被告のなした本件不法行為については本件仲裁契約の効力が及ぶ余地はない。

3  本件仲裁契約の無効

仲裁契約は裁判を受ける権利に重大な制約を加えるものであるから、仲裁契約が有効であるためには仲裁人が公正な判断者たる立場に立つものでなければならない。そして、仲裁人の公正さを確保するためには、仲裁人の選定手続も公正であることが要求される。

ところが、本件仲裁契約においては、被告がなんらの制限もなしに仲裁人を選定できることとされており、このような選定手続では仲裁人の公正さがなんら担保されないから、原告らと被告との間に本件仲裁契約が成立したものであるとしても、本件仲裁契約は無効である。

理由

一  被告の仲裁の抗弁につき当事者間に中間の争いがあるので、以下この点について判断する。

二  <証拠>によれば、被告予備校入学申込パンフレット一一ページに「入学者の心得(誓約書)」なる表題が掲げられ、その一七項に本件仲裁条項の記載があること、このパンフレットは原告ら入学申込者全員に配付され原告らは被告予備校に入学するに当って被告に対しこのパンフレットをよく読み内容を遵守する旨の誓約書を提出していることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  ところで、原告らは仮に原告らと被告との間に本件仲裁契約が成立したとしても、本件仲裁契約は仲裁人の選定権を被告のみに与えているから無効である旨主張する(被告の仲裁の抗弁に対する原告らの反論3)ので、まずこの点について考えてみる。

仲裁契約は、私法上の紛争についての判断を第三者である仲裁人をしてなさしめる旨の当事者間の合意であるが、民事訴訟法は仲裁人の資格やその選定方法についてなんら制限を設けていないから、いかなる者の中からいかなる方法により仲裁人を選定するかは、原則として当事者がその合意により自由に定めることができるものと一応言うことができる。

しかしながら、仲裁は、裁判所における民事訴訟手続に優先して、当事者の選定する仲裁人をして私法上の紛争について確定した裁判所の判決と同一の効力を有する仲裁判断をなさしめるものであって、いわば仲裁人は私設の裁判官とでもいうべきものであるから、仲裁においては仲裁人の公正さを確保するということが本質的要請でなければならない。そして、仲裁人の公正さを確保するためには、まず、その選定方法が公平でなければならないから、仲裁人の選定に関して当事者の一方に不利益を与えることが客観的に明白であるような場合、例えば、はじめから当事者の一方のみが仲裁人の選定権を有する旨の合意がある場合には、その仲裁契約は公序良俗違反として無効となるものというべきである。

これを本件についてみるに、仮に前記認定事実により原告らと被告との間にそれぞれ本件仲裁契約の成立が認められるとしても、前記認定事実によると、本件仲裁契約においては当事者の一方である被告のみが仲裁人選定権を有することとなっており、仲裁人の選定に関して当事者の一方である原告らに不利益を与えることが客観的に明白である場合ということができるから、本件仲裁契約は公序良俗違反により無効であると言うべきである。

なお、本件仲裁契約においては、仲裁人の公正さを担保する方法として仲裁人は弁護士の中から選定することとされているが、右の方法はいまだ仲裁人の公正さを担保するに十分なものとはいえないから、このことは右の判断を妨げるものではない。

四  以上のとおり、被告の仲裁の抗弁は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。

よって、主文のとおり中間判決する。

(裁判長裁判官 松尾政行 裁判官 河村潤治 裁判官 山村善彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例